欧州には名門と呼ばれる自動車ブランドがいくつか存在する。ここで紹介する英国のラグジュアリーブランド、アストン・マーティンもそのひとつ。戦前の創業から今日に至るまで、経営面での紆余曲折はあったものの、各時代に合わせた魅力的なモデルのリリースやレーシングフィールドにおける活躍で名を馳せてきた。
その中でも広くアストン・マーティンの名を世に知らしめたのが、銀幕での活躍だろう。アクションスパイ映画の代名詞である『007』では、1964年公開の『ゴールドフィンガー』から、主人公ジェームズ・ボンドの愛車としてアストン・マーティンが起用されてきた。特別な装備が施されたDB5がボンドとともに活躍するシーンに心躍らせた人も多いはずだ。
そんな名声を得てきたブランドでも、競争が激化した今日では生き残りをかけた方策が必要である。そこで経営の健全化を図り、企業としての成長を遂げるために有効な「売れる」SUVをリリースするのが主流となっているのはご存じのとおりだ。アストン・マーティンが今回紹介するDBXをラインナップに加えるに至ったのは、そうした市場の動向が背景にあると推察するが、その過程でも他のブランドとはスタンスが異なるところが面白い。
「アストン・マーティンDBX」は、110年に及ぶ同社の歴史において初となるSUVである。これ自体はアストンが2015年に発表した中長期計画に則った形で開発・リリースされたものであり、何よりほぼすべてをいちから新設計した点が注目のポイントだ。通常、売れるSUVで経営状態を健全化するためには、既存車からパーツを転用し、開発・生産コストを抑えるのが一般的だが、アストンはその手法を採らず、まったく新しい一台として開発に全力を尽くしたのである。
何より、そのスタイリングはアストン・マーティンを体現していることがわかる。特に真横からのプロファイルはそれを意識させるところで、ルーフラインやボディ後端で跳ね上がるダックテールのデザインはまさに同社のクーペモデルであるヴァンテージのよう。確かに全高や地上高はSUVらしく確保されているものの、流麗なラインによってクーペのような印象が支配的だ。だからこそ、DBXは全長約5m、全幅約2mという大柄なボディでありながら、決してその大きさを感じさせない、筋肉質なアスリートのような印象を受ける。
室内もクーペモデルに則ったテイストで、名門ブランドらしい上質な素材を用いて丁寧に設えられている。レザーの質感やそれを張り合わせて立体感を出した造形、色合いも吟味されたステッチなどのおかげで、たとえ吊るしの状態であっても、サヴィル・ロウで仕立てられたスーツのような着心地、居心地の良さが感じられる。余談になるが、アストン・マーティンにはオーダーメイドプログラム「Q by Aston Martin」も用意されており、オーナー好みの一台を仕立てる楽しみもある。
英国らしさ、あるいはアストン・マーティンらしさは、内外装の設えだけでなく、そのフットワークにも明確に現れている。これまで幾度となくこの老舗ブランドのスポーツカーのステアリングを握ってきたが、いつも驚かされるのは、その洗練された佇まいとは対極的な猛々しさが備わっている点である。それがこのDBXにも息づいている。
今回連れ出したDBXは、一昨年にラインナップに加わったハイパフォーマンスバージョンの「707」。そのモデル名が表すように、4L V8ツインターボエンジンは標準型から157ps増強された707psを発生するというのだから驚くほかない。エンジンの回転フィールこそ滑らかだが、押し寄せる強大なパワーの波は衰えを知らず、別次元の速度域にもあっという間に到達してしまうため、日本の公道上では注意が必要だ。
もっとも、車体はそのパワーをしっかりと受け止めるだけのキャパシティを持ち合わせており、適切な駆動力配分とも相まって、全輪がしっかりと路面を捉えながらぐいぐいと突き進むことができる。そのパワーをスロットルひとつでコントロールできるのもアストンならではのテイストであり、ワインディングロードでも右へ左へと身軽に切り返していける運動性能の高さ、ダイナミズムはこのSUVでも存分に味わえるのである。
昨今ではプレミアムブランドがこぞってSUVをラインナップに加えてきているが、そのなかでもアストン・マーティンDBXは特に個性が際立っている。本来であればそこまで必要ない動力性能と運動性能がこのSUVで両立できているのは、さすがにクルマ作り、スポーツカー作りに真摯に向き合ってきたブランドならではの業といえるだろう。そんなアストン・マーティンならではのプライドや真の強さは、実は伝統的なクーペよりもDBXのようなチャレンジングなモデルのほうが明確に感じられるかもしれない。
■AQ MOVIE
■関連情報
https://www.astonmartin.com/ja/models/dbx707
文/桐畑恒治 撮影/望月浩彦