スーパーカーの起源を探ると、一台の伝説的なロードカーに辿り着く。ランボルギーニ「ミウラ」だ。私見では「ミウラ」が提案したV12リアミドシップというそれまでなかったレイアウトがスーパーカーという新たなカテゴリーとなり、それを「カウンタック」が確定した、という説を採るが、いずれにしても「ミウラ」をその始まりという説に異論はない。スーパーカー文化はランボルギーニが切り拓いた。
そんな「ミウラ」がデビューしたのは1966年3月のジュネーブショーだった。そう、今年2026年は「ミウラ」の生誕60周年という記念すべき年である。実はデビュー前年の1965年秋、トリノショーで一台のベアシャシー(ボディシェルのない状態のクルマ)がランボルギーニブースに置いて披露された。「TP400」と名付けられたそのシャシーは、ランボルギーニ製4L、V12エンジンをドライバーの背後に横置きするというユニークなもので、かつ見るからにレーシングカーライクな様相であったため、たちまち人気を集める。ランボルギーニ社の設立は63年だったから、たった2年で彼らはマーケットに衝撃を与えたのだった。
実はその時、「ミウラ」はまだ影も形もなかった。スタイリストが決まっていなかったのだ。トリノショーの終盤に著名カロッツェリアのボス、ヌッチオ・ベルトーネがランボルギーニのブースを訪れ、自分たちにデザインを任せるようフェルッチョ・ランボルギーニに交渉したという。当時、ジョルジェット・ジウジアーロの後を継いでベルトーネの主任デザイナーに就任したばかりの若き奇才マルチェロ・ガンディーニに、新しいランボルギーニのデザインは全面的に任された。ガンディーニはわずか4ヶ月でミウラを完成させたことになる。
あれから60年。今や「ミウラ」はヴィンテージカー界のスターとなった。「ミウラ」には生産年代によって3つのモデル「ミウラ」「ミウラS」「ミウラSV」が存在するが、中でも最後の「ミウラSV」は生産台数もわずかに150台と少なく、デザイン的にも最もグラマラスで今やその価値は最低でも5億円を超えると言われている。そんな「ミウラSV」をサーキットで試す機会を得た。ランボルギーニのクラシックカー部門であるポロストリコが、今年アニバーサリーイヤーを迎える「ミウラ」や「LM002」など数台のモデルをサーキットに持ち込み、“ヘリテージ・デイ”と称するメディア向けイベントを開催したのだ。
ピットレーンで私を待っていたのは黄色の「ミウラSV」だった。ランボルギーニファンには有名な個体で、なぜならいつもは本社併設のミュージアムに展示される車両そのもの、だからだ。実はちょうど一年前に筆者がポロストリコを訪れた際、エンジンを整備していたのだが、翌年に控えた60周年の各種イベントに活用するため、プチレストア中だったというわけである。10年以上前にも一度ドライブしたことのある個体だったが、ファクトリーにて新たに整備された直後であり、しかもサーキットテストとなれば心が踊らないはずもなく、喜び勇んで乗り込んだ。
乗り込んでしまえば、それなりに空間はある。とはいえ着座位置はほとんど地面スレスレといった感覚で、おまけにドラポジも取りづらい。イタリア人は手足が長いし、このクルマを開発したボブ・ウォレスは背の高いニュージーランダーだった。クルマ好きなら誰もが憧れるコクピットを目の前にすると、さすがに緊張する。その緊張に追い打ちをかけたのが、果たしてちゃんとエンジンを掛けることができるかどうかという不安であった。この時代の高性能車には大きなキャブレターがいくつも装備されており、エンジン始動にも独特の手順=儀式を要する。ボタンひとつ、キーひと捻り、というわけにはいかないのだ。
まずはキーを右へひとつ回す。すると燃料ポンプの作動音が聞こえてくる。耳を澄ましていると断続的な音が徐々に滑らかになる。そこでもうひとつキーを右に回しプラグの火花を散らす。間髪入れずにアクセルを煽れば、背後のV12は劇的に眼を覚ます。完調に整備されたエンジンであれば、全く問題なく掛かる。ところがそうでもなく、一度かけ損なってぐずり始めると、プラグが湿ってしまい火花も飛ばなくなってエンジンをかけるのもひと苦労、となる。エンジンをかけようとするたび、ご機嫌伺いのようになってしまうことを楽しめないようでは、クラシックカー好きとは言えない。
ファクトリーで整備されたばかりだけあって、黄色い「ミウラSV」のV12エンジンは一発で掛かった。背後からものすごいメカニカルノイズとエグゾーストが聞こえてくる。身体も微かに振動する。シートベルトを締めると緊張感はさらに増し、運転したいと思う反面、逃げ出したくもなった。5速分と後退のギア位置がゲートで区切られている。意外に重くないクラッチペダルを踏んでシフトレバーを1速へ。アクセルを煽ることなくクラッチを慎重につなぎ、アイドルスタートを試みた。車体が軽く、力強いV12エンジンのおかげで、スルスルと動き出す。そこでジワリと右足に力を込めてみた。
トルクが後輪へと伝播すると、ぐいぃっと「ミウラ」は前進する。すぐさまシフトレバーを2速に入れてさらに踏み込む。轟然とダッシュした。背後の機械音もガシャガシャとかしましい。路面近くに座っているせいで、加速フィールは現代のクルマに比べても遜色ない。クラッチワークとギアチェンジは思い切りが肝心で、勢いよくしっかりと踏み切って、レバーを確実に所定のゲートへと導くことが肝心だ。速度が上がるにつれて、ドライバーの操作に対する車体の反応もダイレクトになっていく。特にハンドリングが素晴らしい。フロントアクスルの自由度高く、その動きもクリア。ただし、速度域が120km/hあたりまでの話。そこまでなら、いわゆるゴーカートライクな乗り味で、スポーツカーとして純粋に楽しめる。その先は、実はちょっと厄介なマシンだったりするのだが・・・。
実は「ミウラ」のエンジニアリングは、今や世界で最も有名なレーシングカーマニュファクチュラーであるジャンパオロ・ダッラーラの設計によるものだ。彼はレース活動をしないと明言していたフェルッチョを密かに説き伏せようとミウラの設計にレーシングカー的な要素を潜ませていた。ダッラーラがランボルギーニを去ったのちも、部下たちが師の想いを受け継ぎ、有名なイオタプロジェクトを実現したが、結局、その進化は「ミウラSV」で終わり、レースに出ることはなかった。「ミウラ」の後継となった「カウンタック」は、「ミウラ」とはまるで異なる、そしてレーシングとは無縁のV12ミドシップモデルとなり、スーパーカーカテゴリーを確定したのだった。
関連情報
https://automotive-quantum.jp/20036
文/西川 淳 写真/ランボルギーニ