アストン・マーティンのラインアップにおいて、「S」のバッジを掲げるモデルは今も昔も特別な存在である。その起源は1953年のDB3Sに遡り、以降この称号を与えられたモデルは、ブランドのスポーツ性を象徴する存在として受け止められてきた。そんな最新の“S”モデル群が一堂に会した試乗会が、千葉県にある会員制ドライビングクラブ「THE MAGARIGAWA CLUB」で開催された。
南房総のカントリーロードを進んだ先、控えめな標識に導かれて敷地へ足を踏み入れると、そこには自然の地形を活かした全長約3.5km、高低差250mのコースが広がる。アップダウンの激しいMAGARIGAWAのテクニカルなレイアウトは、ドライバーにもクルマにも負荷をかける設定だ。この環境で試乗を行うという事実そのものが、今回の“S”モデルの仕上がりに対する自信の表れと見ていいだろう。
今回の主役は、ラインアップの中核を担うヴァンテージ“S”と、SUVでありながら高い人気を誇るDBX“S”の2台である。ほかにDB12のS仕様やプラグインハイブリッドのヴァルハラも用意されていたが、試乗の主軸はこの2台に置かれていた。まずはヴァンテージSからステアリングを握る。
現行型ヴァンテージの登場は2017年。従来のVHプラットフォームを進化させた車体に、メルセデスAMG由来の4.0LV8ツインターボを組み合わせた2シータースポーツである。2024年の改良では主にエクステリアが刷新され、従来のシャープさに加えて、よりアストンらしいエレガンスが強調された。そのヴァンテージをベースに、パフォーマンスの底上げを図ったのが今回の“S”仕様だ。最高出力は665PSから680PSへと引き上げられ、スロットルレスポンスの改善にも手が入る。

足回りではサスペンションジオメトリーの見直しとともに、ビルシュタイン製DTXダンパーが専用チューニングを受けるなど、総合的なブラッシュアップが図られている。アストンといえば個人的には先代のV8ヴァンテージSの印象が強く残っている。コンパクトな車体に4.7L自然吸気V8を積んだあのモデルは、鋭いレスポンスと確かなトラクションを兼ね備え、まさにドライバーの手足のように応えてくれる存在だった。同世代にはV型12気筒エンジンを積んだモデルも存在したが、バランスという観点ではV8に軍配を上げたくなる完成度だった記憶がある。
MAGARIGAWAのピットに並ぶヴァンテージSのコクピットに収まり、スタートを待つ。インフォテインメントは最新世代に更新されているが、センターコンソールには物理スイッチが多く残されており、このクルマのスポーティなキャラクターにふさわしい機械的な手応えが感じられる。アルマイト処理が施されたスタータースイッチを押し込むと、フロントに搭載されたV8が低く太いサウンドで目を覚ます。
先導車に続くカルガモ走行ながら、ペースカーのステアリングを握るのは現役のレーシングドライバーだから、その速さは明らかに一般道の延長ではない。つまりはクルマの挙動と限界が明らかになりやすいということだ。ピットを出てすぐに差し掛かる下りのコーナーへ向けて軽くブレーキを当て、ノーズに荷重を乗せた状態でステアを切り込むと、フロントが迷いなくインに向きを変える。そこからアクセルをじわりと開けていくと、リアは路面を掴みながら、わずかなスリップを伴って車体を押し出していく。この一連の動きが極めて自然で、操作に対する遅れや曖昧さがほとんど感じられなかった。
増強された680PSと800Nmという数値だけを見れば過剰にも思えるが、実際の印象はむしろフレキシビリティの高さが際立つ。高低差のあるこのコースでも、2速と3速を中心に走り切れるだけのトルクの厚みがあり、最大トルクの発生回転が広げられた効果もあるのだろう、回転域に対する自由度が広い。スロットル操作に対するリニアな応答が安心感につながっている。ドライブモードをスポーツからスポーツプラス、トラックへと切り替えていくと、減衰力の引き締まりとともに車体の動きが一段と明確になる。ステアリングギア比の変更も効いており、切り始めから応答までの間に無駄がない。コーナーの連続でも姿勢が乱れず、リズムよく向きを変えていける。
その一方で、挙動が過度に尖ることはない。入力に対して過敏に反応するのではなく、あくまでドライバーの意図を一段クリアにして返してくる。その意味で、この“S”は単なる高性能版というより、ヴァンテージというモデルの質感を磨き上げた存在と捉えるべきだろう。ヴァンテージが元々持っているスポーツ性の純度が上がった印象だ。かつてのV8ヴァンテージSがそうであったように、突出したスペックではなく、ドライバーとの関係性のなかで完成度を高めていく。その文脈は確実に受け継がれている。走らせ終えたあとに残るのは、速さの記憶というよりも、操作と応答が噛み合ったときの気持ちよさである。ここにこそ、「S」というバッジの意味がある。
■関連情報
https://www.astonmartin.com/ja/models/vantage-s
文/桐畑恒治 写真/アストン・マーティン