東京都心では、ベントレーの姿を見ない日はないほどだ。実際にそれを手に入れられるかどうかは別として、その存在は一般に広く浸透している。エンスージアストに根強い人気を誇るだけでなく、若い世代のセレブリティには押し出しの強いキャラクターが好まれているだろう。得体のしれなさすら、その魅力の一端かもしれない。一方で、50代以上の世代にとっては、もう一方の英国の雄であるロールス・ロイスと〝遠縁〟の関係という印象もまだ残っているはずだ。実際、両者は1998年に袂を分かつまで、70年近くにわたってパートナー関係にあり、車体を共有した時期も少なくなかった。
両ブランドが明確に異なる存在として認知されるようになったのは、2000年代に入ってからである。ロールス・ロイスはBMWの下に収まり、ベントレーはフォルクスワーゲン(VW)グループの一員として再出発した。それぞれが確固たるブランド戦略を打ち出し、超高級車という括りにとどまらない独自の価値を築いたことが大きい。とりわけベントレーは、改めてドライバーズカーとしての性格を前面に押し出し、ブランドイメージを大きく刷新した。
その転換点となったのが2003年の新世代クーペ「コンチネンタルGT」のリリースである。創業以来、同社がコンペティションシーンで培ってきた高性能と操る悦びを実現するべく、VWグループ内で新設計されたプラットフォームやW型12気筒エンジンを採用。高性能と高品質を両立させ、瞬く間に世界中のセレブリティを魅了した。そして、その勢いを受けて2005年に登場したのが4ドアサルーン「(コンチネンタル)フライングスパー」である。
1957年の初代モデル以来、約半世紀ぶりに復活した「フライングスパー」は「コンチネンタルGT」と共通のプラットフォームを用い、新生ベントレーの哲学を体現する丁寧な仕立てで人気を博した。以降、約20年にわたりブランドを支え続け、いまや4世代目となる。今回試乗したのは、その最新型で最強仕様の「フライングスパー・スピード ファーストエディション」である。
試乗の起点は東京都心の外資系ラグジュアリーホテル。車寄せに静かに佇む姿は、その洗練されたシチュエーションにもまったく引けをとらない、威風堂々そのものだった。まずは後席に乗り込む。精緻なステッチや立体的な意匠の3Dレザーパネルが配されたドアを軽く引き寄せると、「コトリ」というわずかな音とともに外界が遮断され、室内は静謐な空気に包まれる。張りのある上質なレザーやクローム加飾が織りなす空間は、ショーファーカーとしての世界観を貫いている。
特筆すべきは、最新世代のプラグイン・ハイブリッド(PHEV)パワートレインである。4LV8ツインターボに電動モーターを組み合わせ、システム最高出力は782PS、最大トルクは1000Nmを発生。モーターのみでも約76km走行できるという性能を備える。これまでのPHEVユニットは2.9LV6にモーターを組み合わせていたが、最新仕様ではエンジンやモーター、駆動用バッテリーを強化。〝ウルトラ パフォーマンス ハイブリッド パワートレイン〟と名付けられ、静粛性と力強さを高い次元で両立しているのが特徴だ。
試乗の舞台となった都心の道路は一向に路面のつぎはぎが減らないが、伸び/縮み側を個別で制御するツインバルブダンパーとエアスプリングを組み合わせたサスペンションは、大小問わずに次々襲ってくる段差を瞬時にいなし、後席に衝撃を伝えてこない。もともと遮音・吸音性能が高いクルマではあるが、最新プラグイン・ハイブリッド・パワートレインの静かで滑らかな駆動フィールも、極上の乗り心地を実現する大きな要素になっている。
後席での快適さを堪能したあとは、運転席へ移る。車体は全長5.3m×全幅2.2mと巨大だが、実際にステアリングを握ってみると、4LV8ツインターボ+Eモーターがもたらす圧倒的な余裕と、エアサスペンションによる絶妙な姿勢制御で、スポーツカーに匹敵する俊敏さが感じられた。中央にBマークを刻むアクセルペダルはやや重めで、雑な操作を許さない。だが一度踏み込めば、782PSと1000Nmというスーパースポーツ級のパワーが瞬時に引き出せる。常に安定姿勢を保とうとする制御も見事で、巨体を意のままに操れる感覚がある。
かつてベントレー主催のショーファートレーニングを受けた経験がある。そこでは、後席のVIPを揺らさぬよう停車・発進するために、アクセルやブレーキを極めて繊細に操作する必要があると教えられた。それは熟練が要る作業だが、リニアリティに優れる電動モーターのアシストがあれば、格段に滑らかな操作が可能になる。この「フライングスパー」はまさにそれを体現しており、実に扱いやすく感じられた。
それはやはりこのプラグイン・ハイブリッド・パワートレインの功績が大きい。単にパワーを高めたり、経済性を狙っただけではなく、アクセルオフ時にはコースティングも可能で、ドライバーが車体の動きを繊細に制御できる〝余白〟が残されているからだ。ペダル操作が即座に車体挙動に直結するEVでは、操作がギクシャクしがちだが、この「プラグイン・フライングスパー」はガソリン車が本来備える〝間〟を活かし、後席のゲストを思いやる滑らかな操作も可能。そのしっとりとした所作は、エレガントなサルーンにこそふさわしい。
つまり「フライングスパー」は、ショーファーカーとしての完成度と、ドライバーズカーとしての操る愉しさを高次元で両立しているのである。新時代のパワートレインを得ても、ベントレーはドライバーオリエンテッドの精神を失っていない。ゲストを優雅に運ぶための所作は完璧でありつつ、その能力を解き放てば、サルーンとは思えぬ走りすら楽しめる。その懐の深さこそベントレーの真骨頂。実に多面的であり、真に贅沢なサルーンだということを改めて思い知らされた。
■ 関連情報
https://www.bentleymotors.jp/models/flying-spur/new-flying-spur/
文/桐畑恒治