東山連峰を背に、世界的にも知られた有名な寺院が多く点在する京都洛東。そこで最新のポルシェ、それもブランド初のBEV(バッテリーEV)システムのタイカン・ターボを受け取った時点で、すでに心は期待感に満ちていた。はやる気持ちを抑えながら、京都の町を西に向かって走り出した。古都を横断する形で目指したのは、洛西の美しい景観を一望できる「嵐山高雄パークウエイ」である。
京都という、日本人の琴線に触れる要素と、ポルシェという崩し難い価値観の2つをいっぺんに揃えられたら、冷静なるクルマのインプレッションなど、適わない危険だってある。だからむしろ、京都とポルシェの関係性を解きほぐし、2つの並び立つ価値観を融合するのがこのツーリングなのでは、と思い至る。とまれ、システム総合での最高出力が680PS、最大トルク850N・mの「ターボ」で、少しばかり混雑する京都の町へと走り出した。
ちなみに日本に導入されているタイカン(派生モデルのクロスツーリスモを除く)は、他に最高出力408PS、最大トルク345N・mの「タイカン」、最高出力530PS、最大トルク640N・mの「4S」と、そして最高出力761PS、最大トルク1050N・mの最強モデル「ターボS」がある。つまり、いま自らが運転し、優雅な気分で京都の町を駆け抜けているこのターボは、上から2番目のグレードとなる。
5m近くの全長とほぼ2mという全幅のボディは、ポルシェの4ドアスポーツサルーン、パナメーラや、さらに言えばメルセデス・ベンツの新型Sクラスよりも少し短く、ちょっぴり小さい程度。一般的に言えば十分に立派なサイズ感である。さすがに全高は、スポーツサルーンを標榜しているだけに1378mmと低めの設定だ。さっそくドアを開けドライバーズ・シートに座ると、そこには相も変わらずの“ポルシェの風景”があった。
実はこれが心地よさのキモでもある。ポルシェには、その名を冠した初の自動車、356時代から変わらない法則がある。左右に盛り上がって見えるフロントフェンダーと、スッと鼻先に向かって下がっていくボンネットフード、そしてサイドミラーにはボディの横っ腹とリアフェンダーを舐めながらの後方視界が広がっている。さらにドライバーズ・シートと、操作系スイッチやハンドルとの絶妙な距離感や操作感という、ポルシェの歴代モデルに受け継がれてきた黄金比が健在だった。
それでもBEVということで、ポルシェには必須と思われていたタコメーターもなければ、コンソールにあるはずのシフトレバーもない。最初は多少の戸惑いも感じたが、すぐに受け入れることが出来たのは揺るぎない技が込められていたからだろう。
60年以上にわたって揺るぐことのなかった“スポーツカーを快適に走らせるための原則”は貫かれていた。当然のようにそれは一般ドライバーにとっても心地よいものであり、ボディのサイズ感を把握するストレスも、すぐに解消される。永年のポルシェオーナーにとってみれば、どんな最新モデルに乗り換えたとしても、5分ほど走れば長年連れ添った愛車のごとくドライブできるゆえんもここにある。こんなことメーカーは敢えて言わないかも知れないが、BEVであるタイカンにも、その培われた感覚は、健在だった。
狭めの路地に入っても、鼻先が通ればなんとかすり抜けられるという安心感はドライブを楽しくする。ストレスを感じることなくヒラリヒラリという感触でドライブがこなせるのである。同時に大パワー、大トルクのツイン・シンクロナイズド・モーターならではの恩恵にあずかる。アクセルを軽く踏んだだけで、周囲を威圧するような爆音も発することなく、静粛にスルスルッと交通の流れを一気にリードしていく。そのシームレスな感触は、これまでに何度となく体験してきたEVの感触だったが、サスペンションの感触は相変わらずのポルシェ。実に乗り心地がいいことに感心させられる。この感触を伴いながら車重2380kgというヘビー級の重さをほとんど感じることがないほど、レスポンス良く走らせる事が出来る。
ボディの大僅差に不釣り合いなほどの軽快感を楽しみながら、今度は鴨川沿いを一気に北上していく。いよいよワインディングに突入して、ポルシェならではの真骨頂を確認する時である。ここ「嵐山高雄パークウエイ」と言えば、関西方面のクルマの走行会やオフ会などが頻繁に開催される、言わば走りの聖地のひとつ。景観の良さだけでなく、嵐山口から高尾口までの10.7kmに渡るワインディングは快適なドライブルートだ。その登りでタイカンのトルク感の強よさを思い知る事になる。なんとも強烈で思いのままの痛快さをたっぷりと感じながら標高が上がっていく。
さらに驚いたのはポルシェならではのボディ剛性の高さと、コーナリング時の安定感である。よくBEVは低重心で安定していると言われるのだが、その好ましい感触が、ポルシェの伝統の中で培われた味わいを持って、ドライバーをすっぽりと包み込んでくれる。そのコーナリングの気持ちよさは“やっぱりポルシェ”であった。
そんな中でひとつだけ気付いたのは、加速感や減速感が「やっぱりモーター」というものであった。シームレスだが鼓動感がない。強烈なストッピングパワーは変わらないが、どこか回生ブレーキには、ガツンと効いている安心感が伴わない。ポルシェらしい味つけはされているものの、意識のどこかで伝統の味わいというか、フラット6エンジンへのオマージュの様なものを感じたまま、拭いきれずにいる自分を見つけた。
「いやいや、コイツはポルシェ風味のBEVだから、これでいいのだ」と、納得させながら、京都の市街地に戻り、またしてもゆったりとした走りを味わいながら、以前に行ったある取材を思い出していた。
新潟にある酒蔵の杜氏に話を聞いたときのことだ。
「うちの酒の成分を分析すれば、内容物や分量などを特定することは可能でしょうが、だからと言って他人が同じお酒を作れるかといえば、絶対に無理です」。例えばAIによって銘酒を構成する要素をすべて解析し、それを同じ分量だけ適正に混ぜ合わせたからといって、アウトプットが同じになる事は無いということだ。
すでに老齢と言えるほどに齢を重ねたその杜氏が、少しばかり熱を帯びた口調で話した言葉には、決して数字では割り切ることの出来ない不確定要素が、独特の味わいを生むのである、という真実が隠されていた。冷静に考えれば当然のことである。永年、その酒蔵が育んできた“経験値と空気感”からしか割り出せない“技”と、そして天候などと言った、実にやっかいだが、不可欠な要素があるからこそ生まれる銘品だからだ。それはいつの時代になっても変わることがなく、これからも永遠に継続していくことになるはず。当然だが、ポルシェは、例えエンジンの時代が終焉を迎えることになっても“永遠にポルシェ”なのである。
京都とポルシェ。この魅力的な組み合わせから、一流の好みの街には一流のクルマが似合うという、当たり前の事実に深く納得して試乗を終えた。タイカンもまた、いつまでも翔ていたくなる、蠱惑なるスポーツカーだったのである。
文/AQ編集部